NHK ファミリーヒストリー バナナマン 設楽統の先祖は?祖父、父や母など両親は?

出典:2nd (セカンド) 2015年 02月号

(2015年9月時点の情報です)

お笑いコンビバナナマンの設楽統さんは、毎日テレビやラジオで見ない日はないというくらいの頻度で活躍しています。帯番組の司会もされているので、 年収は3億とも言われています。今日はそんな設楽さんがファミリーヒストリーに出演されるというので、その先祖について調べてみました。

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【追記】後半に追記あり。祖父は設楽逸三郎さんとおっしゃるそうです。

プロフィール

  • 本名     同じ
  • ニックネーム     カイザー、など
  • 生年月日     1973年4月23日(42歳)
  • 出身地     埼玉県秩父郡皆野町
  • 血液型     O型
  • 身長     175cm
  • 最終学歴     埼玉県立秩父農工高等学校卒業
  • 出身     渡辺正行の付き人
  • コンビ名     バナナマン
  • 相方     日村勇紀
  • 事務所     ホリプロコム
  • 活動時期     1993年 – 現在
  • 他の活動     俳優、声優、司会者
  • 配偶者     既婚(1999年)
  • 親族     娘

wikiより

事 務所のホリプロコムのサイトもみたのですが、レギュラー番組やスケジュールがビッチリ書いてありました。元々渡辺正行さんの付き人だったのですね。全く知 りませんでした。今の勢いで言うと、渡辺さんを凌駕してますね。ネットでは奥さんが美人と言うことと、娘さんの名前がななはちゃんと言って、相方の日村さ んを嫌っているとことなどが出ていますね。

祖父など先祖は?

番組紹介では、以下のように紹介されていました。

故郷は、埼玉秩父。祖父は「秩父銘仙」と呼ばれる織物の工場を営み成功を収めた。そこには祖父と、ある人物との出会いが関わっていたことが判明する。

出典:http://www4.nhk.or.jp/famihis/

秩父銘仙(めいせん)の歴史ですが、崇神天皇の御代に知々夫彦命が住民に養蚕と機織の技術を伝えたことが起源のようです。対象から昭和初期にかけて女性の間で手軽なおしゃれ着として有名になりました。

こんな感じのようです。

秩父銘仙画像検索

はいからさんが通るの主人公とかが来てそうなイメージでしょうか。勝手ですが・・今では織元は秩父地方でもほとんどないそうです。ちちぶ銘仙という、資料館が当時の様子を紹介しています。

で、 設楽さんの祖父の情報ですが、まったくわかりませんでした。今の秩父織物商工組合などを手掛かりに調べてみたのですが・・すいません。当時織物は、秩父地 方の基幹産業で工場は500~600あったそうです。その中の主要な工場のうちのひとつが設楽さんの祖父のものだったんでしょうね。お父さんの泰久さんが 織物工場を継いでいる感じの経歴じゃないとすると、戦後とかには廃業したのでしょうね。

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【追記】祖父は設楽逸三郎さんと おっしゃるそうです。小学校卒業後、進学を断念。そこで入間にある染色講習所を先生に勧められ入所。海外から輸入された化学染料をついてに知識を学びまし た。海外の染料で秩父銘仙は発色のいい織物が出来たそうです。が、第一次大戦で海外から化学染料が不足。黒が足りなかったようですが、奄美大島の大島紬の 染料は美しい黒が出ることを知っていて奄美に渡りました。大島紬で使っている植物はよそ者の立場で多く分けてもらうことは出来ませんが、しかし染料の元に なるタンニンがとれるチンギという植物が島で使われていないことを発見。それを持ち込んで工場を始めて大儲けしました。今の価値で数億円の利益が出たこと もあるそうです。しかし、戦争が始まって軍需工場として拠出してしまい、その後再建はしなかったそう です。

父母など家族は?

設 楽さんの家族構成は両親、姉、兄(聡さん)だそうです。父親の名前は泰久さんと言う名前で西武系の西武長瀞ホテルで支配人をされていた時期があるそうで す。そのコネで設楽さんも高校卒業後は半年だけ西武鉄道に入社し、小手指駅で働いていたことがあります。晩年は入退院を繰り返していらっしゃったようです が、2年前に77歳で亡くなりました。母親の名前は照子さんと言う名前です。泰久さんが亡くなった時のネット記事をみると、照子さんは66歳となっていた ので、一回り位年齢が違うんですね。

照子さんは、ファミリーヒストリーによると福岡出身とのことですが、ご両親は当然一般人ですので、番組で取り上げらるような馴れ初めは分かりませんでした。

福岡出身の母がなぜ、秩父出身の父と出会ったのか、これまで謎だったという。それが今回、100年前のある事実が関係していたことも浮かび上がる。

出典:http://www4.nhk.or.jp/famihis/

ただ、上記の謎について、奄美市立奄美博物館の方が取材を受けたというコメントがありました。「100年前のある事実」についてだそうです。奄美といえば、織物で言うと大島紬が有名なので、大島紬を通して奄美で知り合ったとかそんな感じなんですかね。

【追 記】お母さんの旧姓は江頭とおっしゃるそうです。久留米市出身です。二人の出会いは設楽さんの母方の曽祖父の江頭金一郎さんが関係しています。江頭金一郎 さんは昭和天皇が地元に来た時に案内役をしたほどの名士でした。江頭家は染物屋をしていました。当時は佐賀の一等地で商売をしていたそうです。金一郎さん は佐賀中学(今の佐賀西高校)卒業後、東京に出て東京工業大学で繊維を学び卒業。その後入間染色講習所の所長兼指導員として埼玉県に赴任しました。講習所 で設楽逸三郎さんと出会ったそうです。恩師と弟子と言う関係だったんですね。

で、お父さんの泰久さんで すが、川越高校の紡織科を卒業。大学を出た後足利の会社に就職する前の旅行で父親の逸三郎さんと一緒に久留米に行きました。恩師の江頭金一郎さんが少し前 に亡くなっていたこともあったそうです。そこで江頭金一郎さんの三女の照子さんと初めて会いました。その後、4年後今度は秩父に江頭家が遊びに行くことに なり、当初行くつもりもなかった照子さんがいくことになりました。そこで、泰久さんが当時16歳の照子さんのことを好きになり猛アタック。まわりのアシス トもあってそれが成就しゴールインと相成りました。

逸三郎さんの死後、西武鉄道に入社。泰久さんはホテルの支配人のほか、秩父ミューズパークの総支配人として活躍しました。半身不随になってしまいましたが、亡くなるまで夫婦仲良く過ごしたそうです。

まとめ

まったく情報を掴むことが出来ませんでしたので、おとなしく番組をみようかと思っています。設楽さんは、番組内で目頭を熱くしたらしいので、感動的な秘話があるんでしょうね。番組を見て追記させていただきます。

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