空手の武道としての精神性、ピリッとした感覚と美について。

「空手で美しく」近頃、HPなどでも見かけるようになりました。「本当に空手なんかやってキレイになるの?」とお思いの方もいらっしゃると思いまずが、本当です。やらないよりは。

キレイかキレイでないかと判断するのは人それぞれですが、ダレッとした美しさはないですよね。ボーっとしたちょっと間の抜けた感じがカワイイということはあるかもしれませんが、のべつ幕なしでボーっとしていては、とてもキレイという範疇には入りませんね。

人 の顔はおかれた状況で変わりますね。良くあることに、履歴書の写真や免許証の写真を見て「これ本当にあなたなの?」と言われたり、逆に聞き返したことはあ りませんか?これからの就職が決まるかもしれない履歴書にVサインを出してにやけている写真を貼る人はいませんね。こんな風に、人は様々な場面で様々な顔 をしているのです。単調な生活、朝起きてご飯を食べ、出勤して、仕事こなし、夕方疲れて帰る。週末は疲れて寝ている。代わり映えのしない生活を何年か繰り 返し、体力も若い時に比べ落ち、お腹周りに肉が付き出したあなたに必要なのは空手なのです。

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なぜ空手がいいのか?

空手を含む、「武道」とは端的に言うと命のやりとりをする技術を磨くものです。

空 手の場合、鉄のように鍛えられた拳で、ここで突かれればやられる、バットを粉々にする足で繰り出される、あの蹴りを受けたら命はないという状況でヘラヘラ 笑っている人はいません。真剣に命を守ろうと必死になります。殺される前に相手を倒しまたは制圧して助かりたい。しまりのある顔、日頃使わない顔の筋肉が 大きく動きます。

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取り入れるのはその精神性

そんな危ないことを21世紀にもなる現代で必要なのか。

確かに そんな危ないことは必要ないでしょう。しかしそこで築かれ継承して現代でも多くの人が愛好する武道には、現代の日常生活の中でなかなか得られなくなった 「精神性」があるからです。危険だからこそ、相手のことを思いやり、ケガをしない心遣い、規律を守って正しい練習方法に則って礼儀を守る。

真っ白な道着に着替え、道場の入口を入ったら、これまでの社会生活から離れ、武道に打ち込む異空間。

きっとそこに、日常では得られない隠れた自分に出会えるかもしれません。

ま ず、その日の練習生全員が正座をして師範の入場を待ちます。師範が正面に正座したら「黙想」。当番の声が道場内に響きます。数秒、十数秒、これまで聞こえ なかった様々な音が聞こえてきます。目を瞑る、五感の一つを遮ることで、感じることができる瞬間です。数十秒、1分を超えて頭の中が空っぽになってきた ら、「開黙」「正面に礼」向き直った師範に対し礼、お互いに礼を交わしたら稽古の始まりです。

伝統空手は当てませんが寸前に繰り出される技は真剣そのものです。

終わりには、再び正座をし道場訓を唱え、礼を交わし全員で道場の掃除です。みんなでやり遂げ道場をする時にあなたの顔には日常では得られない笑顔があるはずです。

まとめ

道場の選び方。空手には200を超えるという流派会派があります。自分の目的をハッキリ伝え理解のある道場を選びましょう。HPでもたくさん紹介されていますから、どんどん電話をかけて見学をさせてもらいましょう。その中にきっとあなた向きの道場があるはずです。

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