中日監督 森繁和のプロフィール。強面で893とネットで書かれているけど、性格や評判は?

出典:軍師の逆襲 (ヨシモトブックス)

2016年のシーズン途中から、谷繁監督の休養に伴い監督を代行した森繁和監督今年2017年からは正式に監督として中日ドラゴンズを率いて行きます。今回はそんな森繁和監督を掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 氏名 森繁和
  • 生年月日 1954年11月18日
  • 血液型 ?
  • 出身地 千葉県
  • カテゴリー プロ野球監督
  • 所属事務所 よしもとクリエイティブエージェンシー

プロフィール。強面で893とネットで書かれているけど、性格や評判は?

高校は、千葉県にあった科学技術工業高等学校に入学しました。2年生からエースとして活躍するが、3年の時に廃校が決まってしまいました。最後の大会で敗戦決定後、抗議をしている姿に何かを感じた駒沢大学高等学校の監督に好まれて、同校に編入することになりました。

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高校時代はその後新たな記録を生み出すことはありませんでした。その後系列の大学駒澤大学に進学し、野球の才能が開花しました。東都大学リーグでタイトルを総なめにし、1976年にロッテからドラフト指名を受けるも、自分には足りない物があると指名を拒否して社会人野球の住友金属へ進んで社会人野球を経験します。

同時期にプレーしていたのが、当時東芝府中に在籍していた落合博満氏(現在中日GM1月末契約満了で退職)がいて対戦も積み重ねたことがあるようです。社会人入団から二年後再び西武ライオンズ(現在埼玉西武ライオンズ)からドラフト指名を受けて入団。当時の監督は広岡達朗氏で先発して起用、しかし結果が出ずにリリーフへと転向その起用が当り当時西武ライオンズの初優勝に貢献しました。

1983年、5勝5敗34セーブで最優秀救援投手賞を受賞するものの、その後は怪我に苦しみ1988に現役を引退。翌年から西武の投手コーチとして2軍1軍を行き来し西武の黄金期を支えた1人と言っても良い人材です。

その後は野球解説者や様々な球団で投手コーチとして貢献しました。投手コーチとして西武優勝にも貢献したこともあり、投手コーチとしての定評がありましたが、2017年からは自身が監督として指揮を執るのは初めてでどの様な野球スタイルを取るかは未知数でありとても楽しみではあります。

風貌は元々怖く、インターネット上では893と書かれています。しかし本当は最近には珍しい、親分肌でドミニカに太いパイプを持っており、自身が連れてきた選手も多数いると言われています。

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しかし、選手の評判もどちらかというと、良い方です。そのため相当な部分で誤解されており、また、投手コーチの時などは紫色掛かったサングラスを掛けてベンチにどっかりと座り何を考えているのかが見えないように演出をしているのかもしれません。

また、昔の野球選手は成績を上げるとパンチパーマを掛けたり、ネックレスをする等893と言われるような状況になります。それがまた当時のプロ野球選手のステータスを表す物でした。

まとめ

強面の顔の人いうのは、得てして勘違いされがちです。そのため本人はそんなことはないのに回りはあの人怖いんだと言う風に思われてしまうのです。森繁和監督も恐らくそんな1人でしょう。

しかし勝負の世界に身を置くわけですから、優しい顔よりも怖い顔の方が相手をい奴出来る訳ですし、例えこいつは手強いなと思っていても顔にさえ出さなければ問題はないわけですからその分相手を飲んで掛かる事が出来ます。

今シーズンは、監督として指揮を執ります。投手出身の監督は打者出身の監督よりも大成しやすいと言われています。まあ、どの様な陣容で1シーズン戦うのかは森繁和監督の胸の中というところですが、投手陣の立て直しが急務で打撃陣については試合に使い続ける事で徐々に打てるようになるそんな気がしますね。

落合GMが退団したため、球団内に流れる不和もなくなり、風通しが少しは良くなるはずです。今年は出来ればAクラスに入れば、ファンも納得してくれると思いますね。優勝は戦力的には難しいかもしれません。

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