出典:受験必要論 人生の基礎は受験で作り得る
予備校講師でありながら、いつやるの?今でしょうの流行語を作りだし今ではタレント活動などもしています。今回は、そんな林修さんを掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 林 修
- 生年月日 1965年 9月2日
- 血液型 ?
- 出身地 愛知県
- 所属事務所/勤務先 ワタナベエンターテイメント 東進ハイスクール予備校
- カテゴリー 予備校講師 タレント 作家
林修の経歴。嫁や子供は出身大学について。
小学生の頃は、プロ野球選手が夢という典型的な男の子の夢ですね。しかし、年齢を重ねるにしたがって夢が変化したみたいです。小学校高学年になると、歴史学者になっており、中学の頃は、物理学者、高校の頃は、経済学者。高校と中学に関しては学者という事は一貫していますね。
家庭環境が違うなと思うエピソードがあります。小学生の頃、祖父の影響で歴史書や百科事典をノートに書き写していたようです。まだ林修さんの子供の頃テレビゲームなどは、なかったので、あまり遊ぶものがなかったからでしょうか?
それとも祖父が、厳しく躾けたからでしょうか?中学から愛知県では、進学校で名門の東海中学高校に入学しました。それもほとんど勉強をしておらず、すんなりと入学したようです。
東海中学高校に入ってからは、太宰治などを読みあさり、その他では多才のジャンルの本を読んでおり、書籍が友達という表現が正しいようです。進学校の為、自然と東京大学を目指す事になります。恐らく周りの友達ともそんな話しかしていないので、感化されるのかもしれません。
本人は努力したのか?それとも中学入学時と、同様あまり勉強しなかったのかは不明ですが、東京大学法学部に入学しました。完全無欠のエリートコースを、歩んできたそんなイメージしか抱くことはありませんね。
そして将来へのビジョンが明確に、描けていたようです。経済アナリストを目指して日本長期信用金庫に入行しました。頭のよい人はビジョンがしっかりと描けている事にびっくりしました。
みんなビジョンは描いている訳ですが、自身にフィットした方法が、見当たらず夢を決まらないままに、学生時代を過ごしてしまう人が大半です。しかし林修さんは、そこのところが環境の違いで夢を早く見つける事が、出来たので素晴らしいと思います。
さて、どうして予備校講師とタレントになって行ったのでしょうか?上記に記載しましたが、本人が希望していた経済アナリストの職にはつけず、就職した銀行もこの会社はつぶれるという直感が働いて退社してしまいました。
その後、友人と投資顧問会社やIT会社を起業しますが、事業として軌道に乗せる事が出来ずに、借金を重ねてしまいます。借金返済のために家庭教師をはじめ、その後予備校講師に転身、当初は数学を教えていました。しかし他に優秀な講師が存在し、抜きに出る事が出来ず、現代文を教える事になります。2009年に東進ハイスクール予備校の専任講師になります。
では次に、林修先生のプライベートを掘り下げて行きます。すでに結婚しています奥さんの職業は、産婦人科医で2000年頃結婚し、子供はいないようです。名前は裕子さんと言います。
まとめ
何故、単なる予備校講師がそこまで世間に受け入れられるのかは正直解りませんでしたが、やはりCMが時間帯を選ばず流れ、人の脳裏に刷り込まれることに成功し、タレントして成功したのだと思います。
流行語、いつやるの今でしょまで生み出して、今では世間にしっかりと溶け込んでしまいました。ますます勢いづいて、タレントとして芸能事務所と契約を締結、活動を開始しました。
今までにないパターンの予備校講師なので、今後どうなって行くのか静観して行きたいものです。
やはり、頭のよい人が世の中、上手く渡って行く事が出来るという事なのでしょうか?それとも色々なことが積み重なって、いい流れになっているだけなのでしょうか?という事は、一般人でも自分の立ち位置さえ、しっかり見付ければしっかりと輝くことが出来るという事になりますね。