日枝神社(ひえじんじゃ)とは、東京都千代田区永田町二丁目にある神社。江戸三大祭の一つに数えられ山王祭が行われます。旧社格は准勅祭社(東京十 社)、官幣大社です。祀られている神は、主祭神は大山咋神(おほやまくひのかみ)、相殿は国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのか み)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)となります。
日枝神社ができた年代は不明です。しかし、スタートは、1478年(文明10年)に太田道灌により江戸城が作られる際に川越日枝神社を勧請したことにあります。徳川家康が江戸城へ移ったときに江戸城の中にある紅葉山に遷し江戸城の神社として鎮守としたしました。
1604 年(慶応9年)から徳川秀忠の時代に江戸城の改築工事を行いました。その時初めて江戸城の外へ日枝神社を遷したことにより庶民が参拝できるようになりまし た。神社の面積は江戸城にあった家安の時代は、5石、秀忠が遷したことにより100石、家光になると600石と面積が拡大してきました。
し かし、1657年(明暦3年)明暦の大火により神社は火事に遭いなくなってしましました。これにより、1659年(万治2年)に赤坂にいる松平忠房の低地 に移動することとなりました。ちなみに、この土地は江戸城から見ると裏鬼門になります。要するに邪気を避けるという意味でそこに置いたのかもしれません。
1868年(明治元年)11月には東京奠都のときに准勅祭社に指定されました。1871年(明治3年)になると神祇官直下から東京府と管轄が移されます。1873年(明治5年)には官国幣社の選定の際に選定されずそのまま東京府の管轄のまま府社として残ります。
1881 年(明治14年)に平山省斎が皇城鎮護の神社が府社であることは許されない。という理由で官幣大社にするように願い出ます。この方は、氷川神社の宮司であ り日枝神社の祠官も務められていた方です。しかし、彼の言い分は通らず官幣大社にはならなかったのですが、1882年(明治15年)1月9日に官幣中社と なりました。
1912年(大正元年)には官幣大社として昇格しました。平山省斎が願い出てから31年後となりました。しかし、1945年(昭和20年)の東京大空襲に巻き込まれて神社が焼失します。1958年(昭和33年)に再建されます。
日枝神社の猿の神様のご利益!お守りや御朱印について。
日枝神社は猿の神様が祭られています。このように猿の石造がありますね。厄除、安産、縁結び、商売繁盛、社運隆昌といったご利益が期待できると信じられています。動物のテレビ番組をみていてもわかるかもしれませんが、猿は自分の子供に対してものすごく愛情を注いでいます。
で すから、夫婦円満、安産、子宝のご利益があるのだそうです。昔から山王日枝神社の使いは猿とされてきました。通常の神社であれば犬の像が置いてありますが こちらは猿の像です。右側が夫猿、左側の子供を抱いているのが妻猿です。猿(えん)と縁(えん)の掛詞でご縁がつよく縁結びの神社としても有名です。さ て、御守や御朱印についてですが…
まさる守
日 枝神社のお守りと言えばやっぱりまさる守です。猿のデザインが施された御守で、魔が去る(まがさる)、何事も勝る(まさる)ということから神様(まさる) といわれています。先ほどの通り厄払いや勝負事の効果のほかに縁結びや安産、子育て、子宝のご利益も強いとされています。そのほか交通安全などの御守もあ ります。詳しくは公式ホームページをご覧ください。
御朱印
ちなみに、御朱印は日枝神社の社務所へ行けばもらうことができます。社務所は大きくてとても目立ちます。おそらく迷うことなくたどり着くことができるでしょう。
日枝神社はパワースポット富山にもある?
日 枝神社は強力なパワースポットとされています。しかし、属性は風なのでもし自分の属性が風であればここで参拝を行うとパワーをもられるかもしれませんね。 ちなみに、日枝神社は富山も有名です。できたのは東京の日枝神社よりも古く、創建は不明ではありますが、1335年の記録には残っていたそうです。詳しく はウィキペディアに書かれています。
創建の年代は不詳であるが、最も古い記録は建武2年 (1335年)のもので、その頃には越中国新川郡針原に広い境内地をもって鎮座していたとある。その後、南北朝の戦乱を避けて旧上新川郡大山町隠土、旧上 新川郡中野村、旧婦負郡藤居村(現在の富山城跡)と各地を遷座した。天正15年(1587年)、前田利長が富山城に入城して以降は、富山前田家の産土社に 定められ、新たに社地・社殿が寄進された。
明治6年に郷社に列した。明治8年、天照大御神を祀る北神明社、豊受大御神を祀る中神明社を合祀 した。明治32年、境内地に新県庁を建設するのにあわせ、かつて鎮座していた縁で富山城跡内に遷座し、同年8月2日、県社に昇格した。しかし同年8月12 日に市街全域を焼く大火があり、社殿を焼失した。明治34年、現在地に本殿・拝殿を再建した。昭和43年、神社本庁の別表神社に加列された。
2006年(平成18年)には、本殿の修復、幣殿の増築、廻廊の新築工事が行われた。