出典:東大と野球部と私――勝つために大切なことは何か
桑田真澄さんというと、一時代を彩ったと言える偉大なプロ野球選手と言えます。しかし、今は何をしているのか?など、解らないところはあります。今回はその辺を掘り下げていきます。
プロフィール
- 氏名 桑田真澄
- 生年月日 1968年4月1日
- 出身地 大阪府 八尾市
- 血液型 ?
- カテゴリー 元メジャーリーガー
桑田真澄の現在。息子は何してる?名言
現在の桑田真澄さんは、フリーランスで野球解説を行なっています。特に日本テレビでの巨人戦で解説に入ることが多く、野球に対するクレバーな考え方を聞くことが出来る数少ない評論家の一人となっています。
最近では、地上波での野球中継が減少し解説者と専属契約をするテレビ局が無くなりつつあります。そのためフリーランスでの解説者というスタンスが主流で、もうプロ野球で現役時代輝かしい実績を積み上げても解説者の仕事にはありつけないようです。
では桑田真澄さんがどれ位凄い選手だったかと言うところに話を移していきます。まず、今は部員12名まで減ってしまったPL学園の出身者で、野球をするために生れてきた天才と言われていました。
高校時代は清原和博選手と共にKKコンビと言われ、甲子園には春夏合わせて5回出場し、20勝挙げています。その活躍は早くから、プロ野球のスカウトが注目する程です。そのため高校3年の夏が終った直後から、その後の進路を巡って報道が過熱する程でした。
この当時桑田真澄さんはマスコミに対し、早稲田大学受験を公言しプロ野球界入りをしないことを臭わせていました。しかしふたを開けると、巨人から指名を受け世間を驚かせました。
この件で桑田真澄さんのイメージが少し悪くなる事になります。ルーキーイヤーこそ2勝と活躍できませんでしたが、年を追う毎に頭角を現しジャイアンツのエースとしての地位を確立していきました。
20年巨人軍でプレーし、176勝を挙げましたが1995年の右肘の怪我が無ければ200勝は確実に出来たかもしれません。1995年の怪我が原因で球威を落としてしまい、コントロールで勝負する投手へとモデルチェンジしなければならず、徐々に全盛期の輝きを失っていきました。
2006年に巨人を退団し翌年1年だけメジャーのパイレーツでプレーしました。これは野球選手としての夢だったようで、桑田真澄さんはこれを叶えた形になりました。メジャーでは1勝も挙げることが出来ませんでしたが、個人的には良い野球人生を送ることが出来たのでは無いかと思いました。
ここまでは野球選手としての桑田真澄さんを振り返ってきましたが、今度は家族について書いていきます。桑田真澄さんには真樹さんという息子さんがいて現在、独立リーグの信濃グランローゼスで野球選手としてプレーしています。
何故に独立リーグでプレーしているのかというと、大学卒業時にプロ志望届を出したもののプロ野球球団から指名は来ず、新潟の独立リーグのトライアウトを受験しその結果アルビレックス新潟から指名を受けプロ野球選手となりました。
野球への思いがどうしても断ちきれず、自分の可能性を信じてプレーしているようです。父である桑田真澄さんも息子さんがプロ野球の世界にいることを喜んでいるようです。いつまでプレーできるかは解りませんので出来るところまで頑張ってほしいものです。
最後に、桑田真澄さんが残した名言をいくつか紹介していきます。
① 一年間だけではダメです。
一生です。
僕は一生のスケジュールを立てています。
引用:桑田真澄の名言
少ない一言ですけど、クレバーな部分がとても見えてきますよね。今は桑田真澄さんのスケジュールの中でどの辺の一にいるのでしょうか?
② 生きる目的は自分を磨くことだと僕は思う。
だから試練や困難は、
僕に与えられた砥石なんだ。
引用:桑田真澄の名言
確かに困難や試練は与えられた物かもしれませんが、やはり普通に考えれば楽な方を選択しがちです。
まとめ
一流選手はやっぱり考えていることも一流である事が解りましたね。早く指導者としての桑田真澄さんを見てみたい物です。