出典:[amazon]フォー・セインツ ALL TIME BEST
フォークグループフォー・セインツの現在はどの様な活動をしているのか?等を掘り下げて書いて行きます。
プロフィール
- グループ名 フォー・セインツ
- 活動期間 1968年~1973年、2006年
- メンバー 上原徹 志賀正浩
- 旧メンバー 加賀一兄、荒木しげる、ダニー石尾
- レコード会社 ユニバーサルミュージック
- カテゴリー フォークグループ
現在の活動。メンバーは何してる?ライブは?「小さな日記」「冬物語」の誕生秘話は?
現在ここまでの活動は、フォー・セインツのベストアルバム『フォー・セインツ ALL TIME BEST』が2015年11月25日にリリースされています。また、『たまには仲間で(初回生産限定盤)』フォー・セインツ with 松坂慶子をリリースしました。
この歌の動画もYouTube上で公開されており、見る事が出来ます。また、これ以外にも2019年11月27日『生きるものの歌』を上原徹Fromフォー・セインツ名義でビクターレコードよりリリースしました。
しかしながらこのリリースは配信限定アルバムとなっており、4曲入りとなっています。この曲は、作詞 永六輔、作曲 中村八大のコンビで作られて、これが最初のリリースではなく加山雄三、さだまさし、デュークエイセスなどがカバーしている楽曲です。
ここからは、メンバーについて書いていきます。
上原徹
上記にも書きましたが、現在は音楽活動に邁進しています。過去には音楽出版フジパシフィック出版の社長をやっており、もっと若い頃はフジテレビにて音楽番組『夜のヒットスタジオ』で番組制作に携わり海外アーティストブッキング担当をしており『夜ヒット』に
外国人アーティストが出られたのは上原徹さんの功績が大きいと感じます。
志賀正浩
グループ解散後は、タレントに転身しおはスタという番組を担当し人気司会者となりました。その後ゲーム番組などにも出演し子供には人気がありました。しかし、40代に入ると様々な病気に見舞われて4回のガンと左目が網膜剥離となり失明する最悪な事態となりました。
最近もバラエティー番組で取材を受けているため、現状を知っている人も多いかも知れません。会社の代表取締役をしている時期もありました。現在具体的な音楽活動の発表はありません。
ダニー石尾
新生フォー・セインツのメンバーでも有り、鹿島アントラーズのスタジアムDJでしたが、
2014年4月15日に肝臓ガンのため他界しました。
荒木しげる
荒木生徳と言う名義で、ドラムを叩いていましたが、グループ解散後は俳優に転身し荒木しげるに改名しました。仮面ライダーストロンガーにも出演しており、舞台や映画など多方面で活動しました。
2012年4月14日に肺炎のため他界しました。
加賀一兄
途中でグループを脱退しました。ネット検索を掛けると東京都内で開業医をしております。同姓同名であるという可能性は否定できませんが、珍しい名前のため恐らく同一人物の可能性が高いと思われます。
メンバーについては、二人が他界し一人が芸能界を引退。と言う紆余曲折を感じてしまいます。現在のメンバーでも一人は病気を抱えて生きています。人の人生はよく解らないと言うのが正直な感想です。
ライブについて予定はありません。今後発表される可能性があります。
ここからは、フォー・セインツの楽曲「小さな日記」「冬物語」について書いて行きます。「小さな日記」は、1968年グループにとってのデビューシングルで、20万枚の売上を記録しています。
作詞は、原田晴子、作曲、落合和徳 編曲、青木望で作られました。続いては「冬物語」は同名のドラマ主題歌で有り、作詞、阿久悠、作曲、編曲 坂田晃一で作られました。この時の名義はフォー・クローバース名義でリリースされました。
どの程度売れたのかは不明ですが、後に天地真理さんにカバーされています。
まとめ
大学時代に音楽に打ち込んでいたら、デビューのチャンスが来てデビュー。その後紆余曲折が有りメンバーは二人を残して、それぞれの道を進んでいます。今後はどの様な活動をするか楽しみにしたいものです。