「ハリー・ポッター」シリーズの作者としてお馴染みのJ.K.ローリング(1965-)。 「ハリー・ポッター」シリーズの爆発的人気と共に、作者の素顔も様々なドキュメンタリーで映されてきました。それでも彼女の幼少期の話、教育、結婚などにまつわる話をしっかり把握しているというファンは少ないでしょう。 そこで今回は、J.K.ローリングについて、プロフィールはもちろん、経歴や結婚歴、代表作品に至るまで詳しく解説していきます。
J.K.ローリングのプロフィール
生まれと教育
ジョアン・ローリングは、1965年7月31日にイギリスのグロスターシャー州に位置するイェイトに生まれました。ローリング夫妻の第一子として可愛がられ、自身が生まれた2年後には妹も誕生しました。 中学時代はヘッドガールを務める才女だったものの、周りの生徒と馴染めず、いじめの対象になることもしばしばあったと言います。 大学は、両親が希望したエクセター大学に進学し、フランス語と古典を学びました。フランスにも留学経験があり、フランス語に堪能です。
作家としての才能
幻想的な森など自然豊かな場所で、建築美麗しい建物が並んだ街並みを見て育ったローリングは感受性豊かな子に育っていました。色々な物語の伝承が生まれたとされる森に行っては、自分なりに物語を考え、空想し、楽しんでいたそうです。そんな中6歳の時に、ローリングにとって最初の物語ができあがります。「うさぎ」と題された作品は、今でもローリングの宝物になっているそうです。 中学に進んだローリングは、その頭抜けた文才で先生たちの度肝を抜いたようです。数々のエッセイで最高成績を修め、作家としての才能を開花させていきました。 エクセター大学時代は、勉学に忙しかったこともあり、執筆活動よりも読書活動に勤しんでいたそうです。 この時期、古典作品を数多く読み、特に気に入ったジェーン・オースティンの「エマ」は繰り返し読んでいたと言います。
就職と同棲
大学を卒業したローリングは、作家としての道を諦めたわけではありませんでした。そのため、当座の職ということで、アムネスティ・インターナショナルの秘書の座を得ますが、仕事に生き甲斐を感じられず、すぐに辞めてしまいます。その後、出版社や教師職などを転々としました。そしてカフェなどで時間を見つけては、物語のメモなどを取るようになっていきます。 大学時代に出会った恋人がマンチェスターに住むことになり、同棲しないかという話が持ち上がります。仕事にもしがらみがなかったローリングは二つ返事でこれを快諾し、マンチェスター生活のための物件探しをし始めます。週末を利用して物件探しにマンチェスターに来ていたローリングは、マンチェスターからロンドンまで片道4時間の列車の中で「ハリー・ポッター」の着想を得るのでした。 マンチェスターでの物件探しもようやく決まり、ローリングは恋人と同棲生活をスタートさせました。
出会いと別れ
ローリングがマンチェスターに移住して程なく、最愛の母アンが45歳の若さでこの世を去りました。実は、ローリングが15歳の時にアンは多発性硬化症と診断されていました。10年間の闘病生活で母の状態が悪化していく現実は本当に辛く、耐えられないものだったとローリングは回想しています。母の死が作品に影響を及ぼさないはずもなく、その暗く重い影は「ハリー・ポッター」の中にも色濃く反映されることになります。 母の死のショックから、文筆活動に明け暮れていたローリングは、徐々に恋人との関係も悪化していきました。そして同棲から数か月もしないで恋人と別れ、単身ポルトガルへ赴きます。 ポルトガルでは英語教師として働き、その合間合間に「ハリー・ポッター」の構想を練っていました。ポルトガルに渡って数か月目、バーで出会った男性と同棲し、妊娠します。 しかし、悲しいことに赤ちゃんは流れてしまい、再び家族を失うことになります。 翌年、その男性と結婚し、再び妊娠します。この時ローリングはまだ27歳でした。 妊娠中は「ハリー・ポッター」の執筆を進めて過ごしました。 1993年の7月、長女ジェシカを出産します。しかし、関係が悪化していた夫とはこの4ヶ月後に別れることになります。乳飲み子を抱えたローリングは、エディンバラに住む妹ダイを訪ねます。
どん底の人生
夫と職を失い、乳飲み子を抱えたローリングは、その年の末に生活保護と住宅手当を申請します。当座のお金を工面するため、友人たちにもお金を借りて回ったと言います。 妹の助けも借りつつ、ローリングは娘ジェシカと共にスコットランドで新たな一歩を踏み出す道を模索します。しかし、生活保護や住宅手当などをもらっているうちは、限度額が設けられているため、むやみに仕事をすることもできません。極度の貧困状態から鬱病も発症し、自殺しようと試みたことも多々あったそうです。
転機
鬱病から回復したローリングは、スコットランドで教職を得るためのコースを受けることにします。このコースを受けることで補助金が宛がわれたため、ローリングの生活は幾分ましになりました。 1995年、ついに完成した「ハリー・ポッターと賢者の石」の原稿を出版社に送ります。そして、ブルームズベリー出版社と契約することに成功します。 出版は2年後の1997年で、出版日から2週間も経たないうちに第二弾となる「ハリー・ポッターと秘密の部屋」の原稿を出版社に送ったのです。 「ハリー・ポッター」シリーズが爆発的な人気を博したのは言うまでもありません。 そして、その印税によって、生活保護受給者だったローリングは一夜にして億万長者へと変身したのです。
結婚と家族
ローリングは27歳の時に結婚し、女児をもうけましたが、その結婚生活は1年と短いものでした。過去の経験から、結婚にはあまり乗り気でないローリングでしたが、2001年に医師のニール・マレーと再婚します。そして、2003年に男児を、2005年に女児をもうけ、3児の母となりました。
主な受賞歴
・1997年 ネスレ・スマーティーズ賞受賞 ・1997年 「ハリー・ポッターと賢者の石」でブリティッシュ・ブック・アワーズ受賞 ・2000年 母校エクセター大学から名誉博士号の授与 ・2000年 「ハリー・ポッターとアズバガンの囚人」でローカス賞受賞 ・2001年 「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」でヒューゴー賞受賞 ・2001年 大英帝国勲章OBE受章 ・2001年 オーサー・オブ・ザ・イヤー受賞 ・2003年 アストゥリアス皇太子賞受賞 ・2003年 「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」でブラム・ストーカー賞受賞 ・2006年 「ハリー・ポッターと謎のプリンス」でブリティッシュ・ブック・オブ・ザ・イヤー受賞 ・2007年 バーバラ・ウォルターズ賞受賞 ・2010年 アンデルセン文学賞受賞 ・2011年 英国アカデミー賞受賞 その他、エディンバラ大学、セント・アンドリュース大学、ハーバード大学などから名誉学位が贈られています。
J.K.ローリングの作品の特徴
J.K.ローリングおすすめの代表作2選
J.K.ローリングの代表作といえば、やはり「ハリー・ポッター」シリーズでしょう。2022年には同作の映画から20年ということで20周年記念も開かれました。 今回は、「ハリー・ポッター」シリーズの第一弾と、その後に発表されたちょっとシリアスな作品について紹介していきます。
「ハリー・ポッターと賢者の石」(1991)
「カジュアル・ベイカンシー 突然の空席」(2012)
まとめ
J.K.ローリングについて、その生い立ちや教育、結婚、作品について詳しく見てきました。 ローリングの生涯についてはあまり知られていませんが、かなりな苦労人であったことは間違いありません。それを筆一本の力で変えられる彼女の才能には凄まじいものを感じます。「ハリー・ポッター」シリーズで大成功を収めた後、違うジャンルに挑戦したい彼女は別のペンネームでいくつかの作品を執筆し、原稿を送っていたそうです。しかし、いずれからも素人作品ではないとすぐにバレてしまったと言います。 そんなローリング氏はまだ50代です。今後も素敵な作品を世に送り出してくれることでしょう。 👉[amazon]J.K.ローリングの本はこちら。