出典:[amazon]ミステリーの女王 夏樹静子と福岡
夏樹静子という作家をご存知ですか?夏樹静子は「蒸発」や「Wの悲劇」などを発表し、その緻密なプロットと丹念な取材に裏打ちされた作風から「ミステリーの女王」と呼ばれたミステリー作家です。日本女性推理小説家の草分け的存在でもあり、発表した作品の多くがテレビドラマや映画となっていますので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。そんな人気ミステリー作家・夏樹静子はどのような生涯を送ったのでしょうか。今回は、夏樹静子の生涯を解説します。
夏樹静子の生涯について
夏樹静子の生涯について紹介します。若い頃から文才があった夏樹静子。その才能は学生時代から注目されていたようです。
文学少女から結婚を機に作家へ
夏樹静子は1938年、東京都港区虎ノ門に生まれました。生まれてから数年後に第2次世界大戦が勃発したため、1943年から家族一同で静岡県熱海市に疎開し幼少時代を過ごします。中学まで熱海で過ごした夏樹は高校進学のために東京に戻り、日本女子大学付属高校に通います。その後、慶應義塾大学英文学科に進学しますが、大学在学中に五十嵐静子名義で書いた小説「すれ違った死」が江戸川乱歩賞候補となり、早くからその才能が認められます。
残念ながら最優秀賞には選ばれませんでしたが、これがきっかけとなり当時人気を博したNHKの推理クイズ番組「私だけが知っている」のライターを任されることになりました。3年間で30本もの台本を書いており、同番組には他にも鮎川哲也や島田一男などのミステリー作家がライターとして参加していました。
1962年、夏樹しのぶ名義で「赤い造花」や「ガラスの鏡」などの作品を文芸雑誌に発表しますが、大学卒業後に結婚したことで小説家の道は断念することになりました。
ミステリーの女王として
専業主婦として慌ただしい毎日を送っていた夏樹ですが、子供を授かったことで彼女の心境に大きな変化が訪れます。自分の子供を授かり、女性として「母と子のありさま」を小説にしたいという強い衝動に駆られた夏樹は、4年間のブランクをものともせず、代表作「天使が消えていく」を執筆。再び江戸川乱歩賞最終候補となり注目を集めます。またも最優秀賞は逃したものの、作品の完成度が高く評価され、1970年に作家デビューとなります(ちなみにこの時の受賞者は森村誠一でした)。
作家デビューした夏樹は、女性ならではの視点や感性、そして重厚なミステリー・プロットにより1973年の「蒸発」で第26回日本推理作家協会賞、1989年には「第三の女」がフランス語に翻訳され、フランス犯罪小説大賞を受賞するなど人気ミステリー作家の地位を確立。やがて山村美紗と二分する「ミステリーの女王」と称されるようになります。また、アメリカの人気作家エラリー・クイーンのオマージュ作品として執筆した「Wの悲劇」は後に映画化され、大きな話題となりました。
晩年も作家として意欲的に執筆
1990年代になり社会問題に焦点を当てた夏樹は、高齢化問題を浮き彫りにした「白愁のとき」や、試験管ベイビーを扱ったミステリー小説「茉莉子」を執筆し、多くの関心を集めました。また、夏樹自身の苦しい体験談を詳細に綴った「椅子がこわいー私の腰痛放浪記」が話題となり、当時あまり一般的ではなかった<心療内科>という言葉が世に広まるきっかけを作っています。
晩年の2007年には、ミステリー文学の発展や女性作家の地位向上に大きな役割を果たしたとして、第10回日本ミステリー文学大賞を受賞。生涯で300作品を超える作品を残した夏樹静子は、2016年3月19日、福岡にて心不全のためこの世を去りました。享年77歳。告別式には1000人以上の人が参列し、さまざまなメディアで20世紀の偉大なミステリー作家の訃報が伝えられました。
夏樹静子の家族について
夏樹静子の家族について紹介します。夏樹静子の夫も凄い人でした。
夫はガソリンスタンドで有名なあの一族
夏樹静子の本名は出光静子です。「出光」といえば、ガソリンスタンドで有名な「出光興産」ですが、夏樹静子の夫は「新出光」会長の出光芳秀です。さらに芳秀の父は「新出光」の創業者の出光弘であり、弘の兄・出光佐三は、作家・百田尚樹の代表作「海賊と呼ばれた男」のモデルとなった人物です。
兄もミステリー作家
夏樹静子の実の兄・五十嵐均もミステリー作家として活躍しています。仕事をしながら執筆した小説「ヴィオロンのため息の高原のDデイ」が横溝正史ミステリー大賞を受賞し、1994年、60歳にして作家デビューしています。
夏樹静子のエピソード
夏樹静子のエピソードを2つ紹介します。どちらも大きく社会に貢献しているようです。
新しい囲碁を作成
囲碁が趣味だった夏樹でしたが、碁石の白・黒の刺激が目に良くないと医者から忠告を受けたため、目に優しい、濃い緑と薄い緑の「グリーン碁石」を開発。同じ悩みを抱える人に好評となり、これにより夏樹は日本棋院から大倉喜七郎賞を受賞しています。
激痛に耐えながらも執筆を続けた
先に述べたように、夏樹は壮絶な腰痛を経験しました。腰痛を解消するために、整形外科、神経内科などあらゆる病院を回ったそうです。しかし検査をしても異常は見つからず、鎮痛剤もまったく効かなかったため、祈祷や除霊にもすがったほどでした。そんな壮絶な苦しみの中でも、横になりながら執筆を続けなんとか仕事を続けたと言われています。
最終的に原因は「心身症」と判明し、夏樹がこの経験を詳細に発表したことで「心療内科」という言葉が広く一般に知れ渡るきっかけとなりました。
まとめ
女性ならではのミステリーを追求し、母性や家族の葛藤を多く描いた夏樹静子。そのテーマもさることながら、作品で描かれる緻密に計算されたトリックや、ラストの大どんでん返しは、読者を夏樹ワールドに強く引き込みます。また夏樹静子は裁判関係の仕事にも携わっていたため、「法律物」も数多く執筆し、法律を題材にした人気シリーズも執筆しました。この記事を機会に、ぜひ夏樹静子の「社会派ミステリー」に手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。