出典:[amazon]事故…クリスティ犯罪・怪奇傑作選
文学においては一つの押しも押されぬジャンルの一つとして今や広く読まれるミステリー。ただ、ミステリーというジャンルが市民権を得るようになったのは以外に最近のこと。ある作家の存在によって、ミステリーは大きく知られるようになりました。19世紀後期に、イギリスである少女が生を受けます。名前はアガサ・メアリ・クラリッサ、のちのペンネームはアガサ・クリスティ。彼女はまさしく、コナン・ドイルやエドガー・アラン・ポーと並んで知られる『ミステリーの女王』でしょう。今回は彼女の人となり、その人生についてご紹介します。
アガサ・クリスティの生涯
まずは彼女の生涯についてご紹介しましょう。アガサはその膨大な著作の中に色濃く自身の姿を見出し、描いていました。彼女は政治的世界にはあまり関心を持ちませんでしたが、著作の中では文化的素養を感じさせるものが多いです。
アッシュフィールドの夢
1890年9月15日、フレデリック・ミラーとクララ夫妻の3人兄姉の末っ子として生まれました。リヴァプールの東、アッシュフィールドに建つ生家は裕福でこそありましたが、アメリカ人の資産家であるフレデリックは働かずに「ジェントルマン」を自称する風変わりな人物であったようです。同時に大変気のいい人物であったようで、これまた風変わりな母クララの破天荒な行いを流してくれるよい家族でした。母の教育方針で字を7歳まで教わることのなかったアガサは、学校にも行くことを許されず内気な少女に育ちつつも、父の書斎にある書籍を読みふけって教養と知識を深めていきました。また使用人たちの中に混ざって話をねだっていたアガサは、ここで外の社会に広がる上下関係を目にします。家族との関係が夢の中ならば、使用人と過ごす時間はおぼろな午睡のようなものだ、とのちに語っています。
アガサは兄弟が家に長くおらず、ほとんどの時間を一人で過ごしました。ただ、彼女は自分の作家人生の土壌をはぐくんだ幼年期をこう評しています。「私は一人っ子でしたから、自分でお話を作って遊んだのです。」
アガサ・クリスティ著中村妙子訳『未完の肖像』より抜粋
彼女の世界には、親しい人がいなくなる不安もあったようです。アガサはアメリカに両親が4年間滞在した際、孤独な時間を過ごしました。家族に対する郷愁や寄る辺のない恐怖は、彼女のミステリーの中で度々、孤児や病気といった形で登場しました。
文学の世界へ
少女であったアガサには知る由もないことでしたが、ミラー家の財政は投資に失敗して傾いていました。またフランスにしばらくの滞在をした際には、フレデリックは体の数か所を患い、55歳で亡くなります。このころにはアガサはピアニストになりたいと夢見ていました。しかし経済的な事情から断念すると母に告げ、文学の世界にのめりこみます。
短編を書いて出版社に送るも芳しい返事はなく、作家であるイーデン・フィルポッツの師事のもと、同じく作家を志すのでした。このころ最初の夫となるアーチボルド・クリスティと結婚し5年後の1919年、娘ロザリンドを出産しています。第一次世界大戦にも看護師として従軍し、のちのトリックに活かされる毒薬の知識を得ました。50年の歳月を経て、『蒼ざめた馬』のトリックに毒薬が登場しますが、このころの経験が基になっているようです。
ミステリー作家「アガサ・クリスティ」
ようやく作家として日の目を見たのは1920年。探偵エルキュール・ポアロシリーズの第一作『スタイルズ莊の怪事件』でミステリー作家としてデビューします。これ以上にアガサが知られるようになったのは1926年の『アクロイド殺し』でした。当時のイギリスは現代に比べミステリーには様々な制約や不文律があり、作品のトリックをめぐって論争が起こります。一躍有名になりましたが内気であること、夫との軋轢、同年に母クララがなくなったことなどのせいか、アガサは失踪事件を起こします。マスコミは大きくこれを取り上げ、以降彼女はマスコミへの不信から露出を避けるようになりました。
失踪事件の8年後、アガサはアーチボルドと離婚します。心を傷つけた彼女は旅行を計画します。偶然伝え聞いた話からイスタンブール行きのオリエント急行に飛び乗り、のちに『オリエント急行殺人事件』の着想を得ました。イスタンブール旅行の後は砂漠横断に参加し、そこでアガサはのちの夫、考古学者であったマックス・マローワンに出会ったのです。
マックスは寡黙な人間でしたが、ロザリンドが肺炎にかかってアガサがイギリスにもどることを伝えると、自分も行こうと即断し寄り添う誠実さを持っていました。二人はひかれあっていきますが、当時マックスは27歳。対してアガサは40歳という年齢差がありました。マックスはついにアガサに結婚を申し込んでも、彼女にはまだアーチボルドの影が色濃く残っており、保留するにとどめます。周囲もやめておいた方がいいと助言しますが、アガサはこのアドバイスに反抗心を覚えてしまったのです。それからは急旋回し、すべてを押し切ってマックスと結婚すると決め、1930年に二人は結ばれました。
結婚してからの生活はまさにアガサの人生において最も幸福な時期であった、とアガサは言います。マックスと過ごした中で、1932年から47年までは小説の面から見ても全盛期でした。探偵ポアロシリーズの『邪悪の家』に始まり、『エッジウェア卿の死』などが出版されます。中でも『オリエント急行殺人事件』は当時流行っていた映画の波にのり世界中で広く知られることとなります。ミステリーにおけるトリックの前提に挙げられる「密室」の演出の巧さがアガサ・クリスティを偉大たらしむ所以の一つですが、こうした特徴は『そして誰もいなくなった』『ナイルに死す』などの代表作にもみられます。
イギリスの「デイム・アガサ」
名声を得てのちも多くのヒットを晩年まで飛ばし続けたアガサの作品は多くが演劇化、映画化されています。イギリス王室はこのたぐいまれな才能を持つ老婦人に対して、1968年に貴族、「デイム・アガサ」(アガサ婦人)とすることを発表しました。幼少の頃からずっとレディ(貴族令嬢)になることを夢見てきたアガサにとって、何よりの賛辞であったことでしょう。そして1976年1月12日、心臓発作で寝たきりになっていたアガサは穏やかにその生涯を閉じました。
アガサ・クリスティの作風やエピソード
作風
アガサは非常によく知られたミステリー作家ですが、彼女の人生と同様にその作風も魅力的なものです。トリックはミステリーの華ですが、それを演出する密室や登場人物の構成も非常に巧妙です。それは飛行機の中や、孤島、急行列車など、思った以上に人が集まる密室環境が整うことに気づかされます。この気づきにアクセントを加えるのは登場人物の「平凡さ」です。彼らは実にどこにでもいそうな(実際のところ、ポアロの外見はそういった想像に基づいています)外見ながら、そこにある特徴を2、3加えるだけで「キャラが立った」人間として描かれます。アガサの魅力は、リアリティを持たせつつも、それは決して現実ではないこともあるでしょうか。
エピソード
アガサが『アクロイド殺し』の後、失踪したことは当時の新聞にも大きく取り上げられました。それは、アーチボルドが家庭を顧みず仕事に没頭したりゴルフに夢中になったりしてしまったこと、クララが病を患い長くないと知ったこと、そしてマスコミに品のない取りざたをされたことなど、様々な要因が考えられます。
失踪事件ののち、アガサの心境には大きな変化が起こりました。これまで小説はアガサにしてみれば「椅子に座って刺繍をする」娯楽と同義でしたが、この事件のあとから楽しみと執筆が切り離されかけていました。この瞬間にアマチュアではなくプロの小説家として生きることになったわけです。
まとめ
今回は、イギリスの偉大なミステリー作家、アガサ・クリスティを紹介しました。現在でも広く読まれる作家の魅力を、少しでも彼女の人生から見つけることができればうれしいです。作家は経験をもとに作品に昇華するものですが、彼女の人生観は小説の中におぼろげな霧のように漂っています。
まずは、代表作を一つ手に取ってみてはいかがでしょうか。短編も多く、ミステリーは少しずつ読み進めると謎への関心がページをめくる手を進めてくれるので、初めて読む方にもおススメです。