京都市内から車で4時間ほど離れた山あいの集落で静かに暮らしている60代の夫妻がいらっしゃいます。名前は、梅木好彦さん・久代さん。小さい田ん ぼや畑を耕してほぼ自給自足の生活を送っているとのこと。これだけ聞くと、テレビ「人生の楽園」のように現役時代にバリバリ働いた熟年夫婦がセカンドキャ リアでも輝いているよといったストーリーが想像できますが、それとは一線を画します。
NHKスペシャル「見えず 聞こえずとも~夫婦ふたり の里山暮らし~」という番組でお二人が紹介されるそうですが、「見えず 聞こえずとも」というタイトルの通り、妻の久代さんは視力と聴力を失っています。 それでも里山で静かに生きる姿が放映されます。今日はそんなお二人について調べてみました。
梅木夫妻の略歴
出典:NHKハートネットTV
夫 の梅木好彦さんは、若いころより理想の農業を求めて全国を放浪。京都北部に根を下ろして自給自足の生活を実践していました。
ところが、自給自足の生活を実 現したものの、何かが生活に足りないと思うようになりました。一人で黙々と自然に対峙するのは、それはそれでやりがいがある仕事なのでしょうが、誰かの役 に立ちたいと思ったそうです。
ネットの情報によると好彦さんはクリスチャン(ライトハウスという教会の会報誌への寄稿が掲載されていました・リンクはPDFなのでご注意ください)のようなので、そういった素養があったのかもしれません。そこで阪神・淡路大震災のボランティアに参加するようになりました。そこで久代さんと知り合ったそうです。
久 代さんの人生は壮絶です。2歳の時、高熱のため耳がまったく聞こえなくなり、ろう学校に入り高等部を卒業します。聴者の男性と結婚し、男の子2人を育てま したが、視力の低下が進み失明。35歳で離婚してしまいます。暗闇に押し込められた日々に絶望した久代さんは2度も自殺を試みたそうです。
2人は、最初はボランティアで知り合っただけの関係でした。しかし好彦さんは、ボランティアの時だけ関わるだけでは無責任なのではないかと思い、50代の時に結婚して、久代さんを支えておられます。
日々の暮らしは?
梅木夫妻は京都の京丹後市というところで暮らしています。農作業や古民家での暮らしは久代さんにとって大変ですが、手と手を握り合うことで互いの意思を伝える“触手話” を頼りに生活をしています。
ただ、そうはいっても好彦さんは農業をしていますので、すべてつきっきりというわけにはいきません。そこで久代さんは独力で出 来ることを着々と増やしてきました。料理も裁縫もひとりで出来るそうです。
料理はなんと炒めものまで作ってしまうそうですし、お弁当も作っています。本当 にすごいなと思います。
ライフワークは?
そんな梅木夫妻のライフワークは、久代さんと同じような境遇にある光と音の両方を失った盲ろう者の支援で す。
久代さん自身、以前寸住んでいた大阪で、盲ろう者の友の会に所属して救われたそうです。孤独になりがちな盲ろう者が世間との繋がりを持ったり、同じ境 遇の仲間を励まし合うような場所の有用性を身をもって感じていましたが、京都にはなかったので、「京都盲ろう者 ほほえみの会」を立ち上げました。
盲ろう 者の交流だけでなく、通訳介助者の養成なども実施しているとのこと。会場が遠いので、現在は京都北部盲ろう者たんぽぽの会を設立し、そこで会長を務められ ています。また、全国の盲ろう者の団体とも交流を持ち、講演などをされています。
まとめ
梅木夫妻をみて色々な幸せのカタチがあることがわかると思います。その幸せは人から与えられたものではなくて、それぞれが自分で考えて、悩みながら積み上げてきたもの。一人一人に幸せとは何かを考えるきっかけを与えてくれると思います。
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