坪内逍遥ってどんな人?その生涯や妻は?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]坪内逍遥 名作全集: 日本文学作品全集(電子版) (坪内逍遥文学研究会)

坪内逍遙という人物を知っていますか?坪内逍遙は日本に写実主義の文学スタイルを広め、西洋の文化を取り入れた新劇を進めたほか、シェークスピアの全訳を行うなど、多くの偉業を成し遂げた人物です。
今回は、坪内逍遙の生涯や親しみの湧くエピソードなどをご紹介します。

坪内逍遙の生涯

sp1

誕生から東京大学時代

坪内逍遙、本名坪内雄蔵は、現在の岐阜県美濃加茂市で1859年(安政6年)の江戸末期に生まれました。尾張藩士の父は代官所の役人で、明治維新とともに名古屋へ移り住みました。父から漢学を勧められただけでなく、母からの影響で貸本屋に通い、読本や草双紙などの江戸戯作や俳諧、和歌に親しみ、特に滝沢馬琴がお気に入りだったと言われています。

その後、愛知外国語学校、東京開成学校、東京大学予備門、東京大学文学部に入学します。在学中は西洋小説も読み始め、1880年にはウォルター・スコットの『ランマムーアの花嫁』を翻訳し『春風情話』として刊行しました。その後の1884年にもウォルター・スコット『湖上の美人』やシェイクスピア『ジュリアス・シーザー』なども翻訳します。
また早稲田大学の前身である東京専門学校の講師にもなり、のちに教授になりました。

小説執筆から演劇運動

1885年25歳のときに評論『小説神髄』を発表し、写実主義を唱え、その理論を実践して書かれた『当世書生気質』によって一躍有名人となります。1889年には徳富蘇峰の依頼で『国民之友』に「細君」を発表してから小説に関する執筆活動を終え、1890年からはシェイクスピアと近松門左衛門の研究を本格的にはじめたほか、1891年には雑誌『早稲田文学』を創刊します。

1897年頃には戯曲として新歌舞伎『桐一葉』『お夏狂乱』などを書き、1906年に島村抱月らと文芸協会を開設。ヨーロッパ流の近代的な演劇を目指す新劇運動の先駆けにもなりました。
逍遙はその後も戯曲の執筆を続けます。

また1913年に出版予定だった『役の行者』は島村抱月と松井須磨子との恋愛事件のために出版中止となりましたが改訂の後、1924年に『行者と女魔』を築地小劇場での最初の創作劇として初演し、高い評価を得ました。この作品はのちに「レルミット」という題でフランス語に翻訳され、詩人アンリィ・ド・レニュらに称賛されたそうです。

シェイクスピア全訳から晩年

1909年から逍遙は『ハムレット』にはじまり、シェイクスピア全作品を独力で翻訳刊行するという偉業を成し遂げました。この偉業を記念して早稲田大学坪内博士記念演劇博物館が建設されました。

sp1

1920年からの15年は静岡県熱海市に建てた双柿舎に移り住み晩年を過ごしました。双柿舎という名は早稲田大学の同僚である会津八一により、庭に柿の木が2本あったことから名付けられたといいます。

逍遙は最後までシェイクスピアの訳文改訂に取り組み、『新修シェークスピア全集』を刊行しました。ちょうどその頃に風邪から気管支カタルを併発し、1935年2月28日、77歳で死去しました。

坪内逍遙にまつわるエピソードや妻

坪内逍遙の性格物語る、二葉亭四迷との出来事

坪内逍遙の性格を物語るエピソードに、二葉亭四迷とのやりとりがあります。坪内逍遙の写実主義の理解に納得できなかった二葉亭四迷が対抗して書いた『浮雲』。当初無名の存在だった二葉亭四迷は坪内逍遙の本名「坪内雄蔵」の名を借りて出版したところ、大ヒットします。

しかし、印税を受け取らないという逍遙と他人の名義で出したことを不甲斐なく思っていた二葉亭四迷との間で押し付け合いが生じ、結局は折半となりました。このエピソードから、坪内逍遙の優しさや真面目さ、素直さがうかがえます。

坪内逍遙は羊が好きだった

坪内逍遙演劇博物館にある「小羊のコレクション」。これは坪内逍遙が集めていた羊グッズで、貴賓室の天井に羊が掘り込まれており、羊の置物や文鎮などの小物も数多く展示されています。実際に「逍遙」という名前を「小羊」とも号するほどの羊好きだったそうで、親しみの湧く一面が垣間見られます。

坪内逍遙の妻

坪内逍遙の妻はセンといい、東大の近くにあった根津遊郭の大八幡楼の娼妓・花紫でした。学生だった坪内逍遙が通い詰め、1886年27歳の時に結婚を果たしました。この結婚を題材とした『文豪』という作品をのちに松本清張が書いています。坪内夫婦には子どもがおらず、兄の三男士行きを養子に迎えますが、のちに解消。また写真家で能笛家の鹿嶋清兵衛とその後妻とのあいだにうまれた子くにを6歳で養女に迎えています。

まとめ

幼い頃から文学に親しみ、写実主義小説という新しいジャンルや西洋の近代劇を取り入れた新劇を広め、シェイクスピアを全訳し、死ぬ間際まで翻訳の改訂に取り組むなど数々の偉業を残した坪内逍遙。一方で妻とのエピソードや羊が好きという一面もあり、親しみが湧きますね。これを機に早稲田大学にある博物館に行ってみたり、シェイクスピアを読んだりしてみてはいかがでしょうか?

👉[amazon]坪内逍遙の本はこちら。

>>坪内逍遥の作品の特徴及び評価。写実主義とは?おすすめ代表作6選

スポンサーリンク

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です