ミハイル・ショーロホフってどんな人?その生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]The Don Flows Home to the Sea

ミハイル・ショーロホフは、『戦争と平和』や『復活』などで知られるレフ・トルストイと並ぶ、近代ロシア(ソビエト)を代表する文豪です。長編大作『静かなドン』により世界的名声を獲得したショーロホフは、1965年にノーベル文学賞を受賞しています。激動の20世紀のロシア(ソビエト)に生まれ、そこで生活する人々の生き様を描いたショーロホフの人生はどのようなものだったのでしょうか。今回はエピソードを交えながら、ショーロホフの生涯を解説します。

ショーロホフの生涯について


ショーロホフの生涯について解説します。ソビエト体制側にいたショーロホフですが、作品の中立性が問題視されることもあったようです。

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コサックの村に生まれ、政治活動に参加する

ミハイル・ショーロホフ(以下ショーロホフ)は1905年、ロシアのドン川流域の町ビョーシェンスカヤに生まれました。この地方は古くからコサックが自治を担当しており、ショーロホフはコサックの伝統や風習に強い影響を受けて育ちました。

1912年、ショーロホフは町の小学校に入学しましたが、すぐにモスクワへ転居し、予備中学生として3年間をモスクワで過ごします。やがて第1次世界大戦が始まると、戦火を逃れるために故郷ビョーシェンスカヤ近くのボグチャル市の中学校に転校し、残りの学生生活を送ります。

中学生時代にロシア革命が起き、1920年にソビエトが樹立されたことは、後のショーロホフの人生に大きな影響を与えました。ソビエト樹立時、ショーロホフは15歳という若さでしたが、村の革命委員に参加したり、反革命派と戦ったりなど積極的に体制側に関わっていたようです。この他にも、コサックの非識字率解放運動の参加や、アマチュア劇団を結成して体制を啓蒙する活動なども行っていました。

こうした激動の青年時代の体験がきっかけとなり、ショーロホフは作家の道を志すことになります。ふたたびモスクワに出たショーロホフは、石工や学校教師、荷役労働者として生計を立てながら、作家修行を開始します。そして1924年、ショーロホフは「ほくろ」を発表し、作家デビューを果たします。この頃のショーロホフの制作意欲は凄まじく、2年間で25編の短編小説を書いたそうです。

代表作『静かなドン』を発表

小説家としてデビューしたショーロホフは、1926年に『ドン物語』『るり入りの曠野(あらの)』などを発表します。これらにより新進気鋭の作家として認知されたショーロホフですが、依然として経済的困窮が続きます。この時ショーロホフは21歳でした。

そのような状況が続くなか、1926年末、ショーロホフは故郷のビョーシェンスカヤに戻る決意をします。その後、革命に翻弄されながらも懸命に生きるコサックの人々や社会を描いた長編小説『静かなドン』の執筆を開始し、15年の歳月をかけて1940年に本作を完成させました。

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これによりショーロホフは1941年にスターリン賞を受賞し、一気に世界的文学者として知られるようになります。それと同時に、1930年代の農村を舞台とした『ひらかれた処女地』を発表し大きな成功を収めます。『ひらかれた処女地』は第2次世界大戦の影響で一時期執筆が途絶えましたが、終戦後に執筆を再開し、1960年に完成となりました。第2次世界大戦中、従軍作家として戦争に加わったショーロホフは、ソビエト機関紙「プラウダ」に多数のルポルタージュを多数執筆しています。

『静かなドン』で作家として不動の地位を築いたショーロホフ。その後ショーロホフは1937年にソビエト最高会議代議員となり、1939年にはソ連科学アカデミー会員に選出され、ソビエト体制内でもその地位を固めて行きます。

晩年

ソビエト国内でさまざまな役職に就き、世界的作家としても名声を獲得したショーロホフでしたが、1969年以降は執筆を完全に停止し、晩年は故郷のビョーシェンスカヤで静かな余生を過ごしました。そしてショーロホフの作品はソビエト国内だけではなく、世界各国でも親しまれ、トルストイの伝統を受け継ぐ継承者としてその名を刻んでいます。。ロシア文学に偉大な功績を残したショーロホフは、1984年2月21日、咽頭がんによりこの世を去りました。享年78でした。ショーロホフの死後、故郷ビョーシェンスカヤの町は「ショーロホフ」に変更され、現在もショーロホフの名が使われています。

エピソードがすごい

世界的文豪らしく、興味深いエピソードがいくつか残されていますので、それぞれ簡単に紹介します。

あやうく銃殺刑に処されそうになる

若い頃にさまざまな職業を経験したショーロホフは、17歳の時に命の危機に晒されます。当時税関職員だったショーロホフは収賄疑惑がかけられ、裁判により銃殺刑の判決が下されます。父からの多額の保釈金と、出生届を再提出したことでなんとか銃殺刑は免れましたが、収賄が本当だとしたら・・・。ショーロホフは意外に度胸のある人物だったのかもしれません。

盗作と疑われた代表作

完成までに10数年の歳月を要した大作『静かなドン』。ショーロホフが最初にこの作品を発表したとき、評論家たちは「盗作である」と疑ったそうです。「弱冠21歳の教養の乏しい青年が、このような深淵な作品を書けるはずがない」というのがその理由でした。こうした批判を受けながらも、ショーロホフは作品を描き続け、最終的にノーベル文学賞を受賞しました。このことから、ショーロホフは早熟の天才だったことがわかります。

まとめ

今回はショーロホフの生涯を紹介しました。ショーロホフの作品では『静かなドン』がもっとも有名ですが、あまりに長いので読むのに苦労するかもしれません。しかしその他にも『人間の運命』や『ひらかれた処女地』など、比較的読みやすい作品もありますので、ご興味があればぜひ読んでみてください。ショーロホフの鋭い観察眼や読者に訴えかける力を感じられると思いますよ。

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>>ミハイル・ショーロホフの作品の特徴及び評価。おすすめ代表作3選

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