出典:[amazon]決定版 谷崎潤一郎全集 日本文学名作全集
谷崎潤一郎という作家をご存知ですか?谷崎潤一郎は明治の終わりから昭和にかけて活躍した、近代日本文学を代表する人物の一人です。代表作「細雪(ささめゆき)」は一度は聞いたことがある作品ではないでしょうか?「文豪の中の文豪」と称され、多くの作家に影響を与えた谷崎潤一郎とはどのような人物だったのでしょうか。今回は谷崎潤一郎の生涯についてご紹介します。
谷崎潤一郎の生涯
谷崎潤一郎(以下谷崎)は1886年(明治19)に父・倉五郎と母・関の子供として生まれました。谷崎には兄がいましたが幼くして亡くなったため、谷崎が一家の長男として育てられました。母方の祖父が一代で財を成したそうで、幼少の頃はとても裕福な家庭で育ち、とても勉強のできた谷崎は、尋常小学校時代から「天才」だったと言われています。
その後、実家の家業が経営難に陥り経済的困窮になりかけますが、周囲の助けもあり東京府立第一中学校(現・日比谷高校)に進学します。この頃から谷崎は文学に目覚め、「学生倶楽部」という雑誌を創刊し作品を執筆していました。
高校でも優秀だった谷崎は、2年の1学期終了後に学校から一度退学を提案されます。この理由は、谷崎があまりに優秀だったため「飛び級」を提案されたことによります。飛び級により一気に3年生になった谷崎は、そこでも「首席」となり周りを驚かせます。
高校卒業後の1908年、東京帝国大学国文学科(現・東京大学)に進学し、哲学者・和辻哲郎らと共に第2次「新思潮」を創刊します。ここで発表した作品が処女作「刺青(しせい)」です。しかし発表当初は、当時の文学的流行とかけ離れていたため、あまり注目されませんでした。その後も谷崎は同人誌「スバル」や「三田文学」に作品を発表し、やがてそれが文豪・永井荷風の目に留まり、賞賛を得たことをきっかけに文壇に登場するようになります。
大学を中退した谷崎は1915年、石川千代(当時19歳)と結婚。横浜に転居し作家活動を続けます。しかしこの結婚は、のちに佐藤春夫と大騒動となります(小田原事件)。また、芥川龍之介ともこの時期に知り合い、以降交流を持つようになりました。
1923年の関東大震災で家が全焼したのを機に関西へ転居した谷崎は、京都や兵庫へ移動し神戸に移り住みます。
そして1930年代頃から、谷崎の女性遍歴は凄まじいものになっていきます。最初の妻・千代とは結局離婚し(1930年)、千代は佐藤春夫と結婚します(細君譲渡事件)。千代と離婚した翌年に女学生だった古川丁未子と結婚。しかし丁未子との生活も長くは続かずおよそ3年で離婚します。そして丁未子と結婚中に不倫関係にあった根津松子と結婚し、谷崎は生涯で3回の結婚を経験します。松子とは円満だったようで、以降生涯を共にすることになりました。そして松子の姉妹をモデルとして書かれた作品が、谷崎の代表作「細雪」です。
1930年代から40年代にかけての谷崎は私生活では波乱が多かったものの、それに比例するかのように旺盛な作家活動となります。この時期に執筆した作品は「春琴抄」や「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」、「源氏物語の現代語訳」、「細雪」などいずれも谷崎を代表する中期・後期の作品が執筆されています。また1949年に文化勲章、そして1951年には文化功労賞が授与され谷崎の功績は高く評価されました。
晩年になり身体の不調が出始めたことで執筆が少なくなりましたが、1956年、70歳の時に書いた「鍵」がスキャンダルとなるなど、その生涯を通じて精力的に作家活動を続けました。こうして明治末期から昭和にかけて文壇で活躍し続けた谷崎純一郎は、1965年7月に79歳でこの世を去りました。谷崎潤一郎は日本で初めてのノーベル文学賞候補となっています。
性格を物語るエピソードは?
生涯にわたり小説家であろうとした谷崎潤一郎。晩年は持病の高血圧症や腎臓病に悩まされ、さらには倒れた際の怪我が原因で、右手が麻痺してしまいました。しかしそんな状態ながらも谷崎は口述筆記で執筆し作品を完成させました。こうした執念が、谷崎が「文豪の中の文豪」と言われる部分かもしれません。
また、幼い頃はとても裕福だった谷崎。子供の頃は一人で学校に行けずに、毎日乳母に付き添ってもらっていたそうです。
死因について
生涯にわたり作家として活躍した谷崎は、その功績が讃えられ1964年、全米芸術院・アメリカ芸術文化アカデミーの名誉会員に選出されています。またこの年に神奈川県足柄に新宅を構え新しい生活を送り始めます。
しかし翌年の1965年、体調を崩した谷崎は東京医科歯科大学病院に入院。その後無事に退院しましたが、この年の7月に腎不全のために79歳で亡くなりました。遺骨の一部は両親のお墓に分骨され、生前「小説の筋論」で論争を繰り広げた芥川龍之介のお墓と背中合わせになっています。
まとめ
今回は、谷崎潤一郎の生涯やエピソードについてご紹介しました。谷崎は多くの作品を残し、そのジャンルも多岐にわたります。ミステリーやサスペンスの先駆者とも言われ、あの江戸川乱歩も谷崎のミステリー小説に感動し、ミステリー作家を志したと言われています。読みやすい短編集から、美しい長編小説までさまざまですので、ぜひ谷崎作品を読んでみてはいかがでしょうか?
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